2024年8月21日水曜日

走らない1つの方法

 

なかなか調子が上がらない今日この頃。食べられない日が続いてますが

ギターは少し弾けたりしてるので

無理なくできる範囲で。


曲を弾いてて走ったりすることは誰でもあるじゃないですか

それは人間なので仕方がないものだと私自身は思ってるんですが

できるだけリズムに沿って弾きたいとも思いますよね


走ったとき たいていは

小節の頭の入りが速くなるんで

小節「頭」を気をつけようとしますけど

自分の場合は頭もそうですけど、小節のお尻の音符を最後まで

伸ばそうとしてるんだなって今朝ちょっと気がついて

書いておこうと思いました


スタッカートみたいな音を短く切るとか音を伸ばすと変なところ以外は

音符の最後の最後まで、出来る限りのギリまで

音をちゃんと伸ばすように なんなら少しタメ気味にするように

弾いてるかも、って気がついて


それを頭の片隅に入れておくだけで

小節の頭の音が自然に揃うようになるかなと。正しい位置に入るんで

走らず次が弾けるって感じです

最後のおとのばす~~~ ってね 速いときは特に。


以前ここに書いた音の入り、切りにつながるんですが

音符の音は4分にしても8分にしても 最後まで伸ばすところは伸ばすっていう

訓練を普段からしておくと

テーマメロディなんかもきれいに滑らかに聴こえますよね

テンポは関係なく。

でも自分の場合は 速いテンポに余裕がなかったりするので

速いときに気をつけてることでもあります

それでも走っちゃう時もあるんですけど。

音や小節の頭よりも、お尻に気をつける

意識の方が私は強いかもしれないなあ


たとえばブレイクなんかも同じですよね

ここでキメ合わせるっていうところの前の音はものすごく気をつける。

それが中途半端になってしまって

ブレイクとかキメのタイミングがずれたっていう

経験ないですか? そういうことだと思います


音の伸ばす長さにどうしてこんなにこだわるのかといえば

ここで次の小節の頭の位置ね、とか

他のパートにここのタイミングでって わかってもらうこと 

そのほかにも

全体のリズムにおおいに関係するので

ものすごく大事だと私自身は思ってます


走るとノリとかグルーヴみたいなものはたいてい消えてしまうので

走りグセはできるだけ直していくべき。

それと周りが走ってしまったら、一緒に走るしかない状況も。

そうなったら周りに合わせるしかない。私はたいていそうしてます


あとは

合わせてもらうばかりじゃなくて

自分も他の人に合わせようって意識を常に。お互いさまなのです。

良い演奏したいですよね


音の長さを気にするのは

周りにこのリズムとテンポで弾いていきますっていうのを

音で周りに伝えるっていうことでもあって

他にも他のひとの音が入れるスペースを提示するっていう意味もあって。

ひいては間とか、そういうことにも繋がっていくと思ってます


ちゃんと考えてみると いろいろ奥深いかもです



普段アニメって見ないんで知らない事も多いんですが

何気に再生したら面白かったやつ。


どっちも私好みの「ふふっ」とか少しだけ笑えるやつ。

まだ見たことないひとがいたら、ぜひ。

内容がシリアスじゃなくて軽め、気楽に見られます

1話のなかで何度も「ふふふっ」って小笑いできるのがいいです

私の場合は今体調があまりよくないので気晴らしとか気分転換。




2024年8月5日月曜日

今日の曲

 今朝になってようやく食べられるように。

食べられると元気も出てくるんで音楽も聴けるように。

ということで

いつものように海外ドラマを観ていてバックでかかってて

懐かしいな、夏にぴったりとか思ってアプリで検索してみつけました

何度も書いてるように

私はタイトルとかまったく知らないけど知ってる曲が多いもので

こうしないと探せないのです。


爽やかサウンド。映像も昔っぽい~キーボードが80年代の音。

ドラマからこの曲が流れてて全部聴きたくなったわけです


そこからなぜかボンジョビ。

懐かしい。多分20年ぶりくらいに聴きました

これはデビュー曲だったと思うなあ。



アメリカより先に日本でブレイクしたんですよね

最初から日本ではすごく人気でした。


個人的にはこっちのほうが思い出深い

当時私は多分10代でいろんなロックを聴いてたんですが

それまでのロックとボンジョビが違ってたのは

メロウというかドラマティックというか ほんの少しの切なさみたいな

そういう曲調がとても新鮮で、それが日本人に受けたって感じでした。



そのつながりで思い出したのがZZ!

20代に入って打ち込みにハマって(今で言うDTM的な)

MTRとかドラムが入力できるやつとか買って

家でひたすら曲を作ってた時期が私にもありまして

最初に使い方を覚えるために 

なるべくシンプルですぐに耳コピして

打ち込みができる曲、っていうんでこの曲を選んで打ち込みしてました。

懐かしい。こんなタイトルだったのね。

今聞き返しても細部まで覚えててびっくりです

できあがりは、時間がかかったけど今聴いても相当似てましたよ

ギターとベースは自分で弾いて録音、キーボードももちろん自分で。


ヴァンヘイレン。ここらへん世代は全員知ってるジャンプ。

若い世代にも知って欲しくて。

楽器店のキーボード売り場ではこのフレーズばっかり聞こえてました。








2024年8月3日土曜日

周りの音を聴く

 ここずっとバテたり回復したりをくり返しています

こんなにフラフラする夏場は今までにないかもしれない…

調子がよい時はくらっときても全然大丈夫なんだけど。



演奏中、音を聴くってなかなか難しくもあると思うんです

自分の例で言えば

自分に余裕が無いときは、周りの音を聴ける余裕も無く

自分に夢中になりすぎちゃうと、これまた周りの音が聞けなくなる。

あるあるだと思います


面白いのは、自分の経験上

音楽とか楽器の技術があるから周りが聴けるってわけではないっていう。

自分の周りとか、昔からのセッションとか。

ギターに限らずいろんな人たちを見てきて そう感じます


今までの自分の周りでいえば

ギターがあまり弾けない人でも、一緒に弾いてたりするとき

私のバッキングをちゃんと聴いてくれてるって

わかることが何度もあって

それは

一緒に弾いてたりすると相手の感じが伝わってくるのと

音も突っかかりながらも合わせようとしてくれたり

相手がちゃんと聴いてくれてるのとかがわかるんです

逆に、ある程度弾けるのに聴けない人もいるんで

技術があるから、っていうわけではなさそうです


ここ数年、音楽も含めいろいろ内省も含めて思うことがいろいろで

考えたりもよくするんですけど

自覚するってものすごく大事だなって思う

ああ、自分は周りの音聴けてないときがけっこうあったな、っていう。

聴けてると思い込んでると、いつまで経ってもそのまんまだから。変わらない。


自分もこういうことを考えてるとき

自分はちゃんと聴けてるだろうか、とか自分を疑う。

自分を疑うことも、ある意味大事なんだよなあと思うこともしばしばです


自覚することで、注意し始めたり気をつけたり

自分で聴く練習とかはじめるじゃないですか。

自覚がないとそういう注意も訓練もしないじゃないですか

いつまで経っても変わらない人ってそういうことだと思うんですよね


とかくギター弾きって音列(フレーズとかね)はもの凄く気にするのに

他の事っておざなりな人が他の楽器より多い気がする。


私の場合はリズムなんかもそうで

自分で気がつき自覚して。

今思えば、自分からしたら大きな転換点になりました

それ以来、自覚するってほんと大事だなって感じてます



周りの音を聴きながら それらに自分も合わせて演奏できるって

ものすごく幸せだったり楽しいことだったりするじゃないですか

それが味わえないなんてもったいなさすぎです。


周りを聴く習慣を普段からつけていくこと、それには

自分がいつでも少しの余裕を持って弾けるようにする習慣を普段からつける、とか

技術をつけることも必要だし、難しすぎることは家練だけにするとか

いろいろやりようはあると思ってて

私自身いろいろ考えつつ実践しています

クリックやバックのカラオケで弾いててズレるってことは

聴けてないってことなんで

それを練習に取り入れるやり方もあるだろうし

おのずとこうやって考えて練習したりするようになるんですよね


聴けない人と一緒に演奏すると何が悲しいって

孤独感を感じたり

こちらが一方的に全部合わせなければ成立できないってこと。

心の中でよく思うのが あんたオレ様何様!? って感じですかね。




時々ここでも書いてますけど

カッコイイフレーズとか、かっこいいもんばっかり追っかけてないで

音楽の本質的なことをちゃんとやる練習も必要だよ、と。

私は思いますね



太田上田。これからみようと思ってるやつ。


今日これからいたばし花火大会!!ベランダから見ます~