2024年8月3日土曜日

周りの音を聴く

 ここずっとバテたり回復したりをくり返しています

こんなにフラフラする夏場は今までにないかもしれない…

調子がよい時はくらっときても全然大丈夫なんだけど。



演奏中、音を聴くってなかなか難しくもあると思うんです

自分の例で言えば

自分に余裕が無いときは、周りの音を聴ける余裕も無く

自分に夢中になりすぎちゃうと、これまた周りの音が聞けなくなる。

あるあるだと思います


面白いのは、自分の経験上

音楽とか楽器の技術があるから周りが聴けるってわけではないっていう。

自分の周りとか、昔からのセッションとか。

ギターに限らずいろんな人たちを見てきて そう感じます


今までの自分の周りでいえば

ギターがあまり弾けない人でも、一緒に弾いてたりするとき

私のバッキングをちゃんと聴いてくれてるって

わかることが何度もあって

それは

一緒に弾いてたりすると相手の感じが伝わってくるのと

音も突っかかりながらも合わせようとしてくれたり

相手がちゃんと聴いてくれてるのとかがわかるんです

逆に、ある程度弾けるのに聴けない人もいるんで

技術があるから、っていうわけではなさそうです


ここ数年、音楽も含めいろいろ内省も含めて思うことがいろいろで

考えたりもよくするんですけど

自覚するってものすごく大事だなって思う

ああ、自分は周りの音聴けてないときがけっこうあったな、っていう。

聴けてると思い込んでると、いつまで経ってもそのまんまだから。変わらない。


自分もこういうことを考えてるとき

自分はちゃんと聴けてるだろうか、とか自分を疑う。

自分を疑うことも、ある意味大事なんだよなあと思うこともしばしばです


自覚することで、注意し始めたり気をつけたり

自分で聴く練習とかはじめるじゃないですか。

自覚がないとそういう注意も訓練もしないじゃないですか

いつまで経っても変わらない人ってそういうことだと思うんですよね


とかくギター弾きって音列(フレーズとかね)はもの凄く気にするのに

他の事っておざなりな人が他の楽器より多い気がする。


私の場合はリズムなんかもそうで

自分で気がつき自覚して。

今思えば、自分からしたら大きな転換点になりました

それ以来、自覚するってほんと大事だなって感じてます



周りの音を聴きながら それらに自分も合わせて演奏できるって

ものすごく幸せだったり楽しいことだったりするじゃないですか

それが味わえないなんてもったいなさすぎです。


周りを聴く習慣を普段からつけていくこと、それには

自分がいつでも少しの余裕を持って弾けるようにする習慣を普段からつける、とか

技術をつけることも必要だし、難しすぎることは家練だけにするとか

いろいろやりようはあると思ってて

私自身いろいろ考えつつ実践しています

クリックやバックのカラオケで弾いててズレるってことは

聴けてないってことなんで

それを練習に取り入れるやり方もあるだろうし

おのずとこうやって考えて練習したりするようになるんですよね


聴けない人と一緒に演奏すると何が悲しいって

孤独感を感じたり

こちらが一方的に全部合わせなければ成立できないってこと。

心の中でよく思うのが あんたオレ様何様!? って感じですかね。




時々ここでも書いてますけど

カッコイイフレーズとか、かっこいいもんばっかり追っかけてないで

音楽の本質的なことをちゃんとやる練習も必要だよ、と。

私は思いますね



太田上田。これからみようと思ってるやつ。


今日これからいたばし花火大会!!ベランダから見ます~



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