2010年1月27日水曜日

We Are American Band !!

先日、テレビで放送された、グランドファンクのライブを見まして。
( ちゃんと録画したよー )

なっつかし~~~~!!(笑)

( 放送されていたのは少し前… 
  うちは録画してから見るまでタイムラグがあります、、、、 )

10代後半~20代前半にかけて、本当によく聴いていて
ライブ映像も、見ていました

今回、放送されていたのも 実はまた、BS でして
NHK BS では、週末あたり、かなあ?
いろんなジャンルの、いろんなライブが放送されていまして
よく録画しては、見ています

( BS は、見逃しても再放送があるから好きよ~~~ )

今回放送されていた、グランドファンクの映像は
昔、見た記憶があったんですけど、それでもコーフンしながら
最後まで見ちゃいました(笑)

今見ても、かーっちょいい~~~…って感じです

放送内容は
キーボード加入前の1969年、1971年から1曲ずつ…かな?
それから、メインの1974年、4人組でのライブを中心に。

最後に、1998年頃の
マークファーナーさんのライブを少々、、、、
( 他のメンバーは違うため、あのノリは消えていた…
  正直、ドラムが、イマイチでした )

…とまあ、そんな番組構成でした

キーボードが加入してからのヒット曲は多いと思うのですけど
個人的には、この 4 人組になってからのリズム・グルーヴが好きです

番組進行の人も言っていましたが
グランドファンクは、当時、爆音がウリ、みたいなところがあって
特に、ドラムが激しくたたきつける様が、話題だったようで

( ワンタム、ワンフロア、ヨイです~~~ )

ジャンルのカテゴリーとしては
爆音・大音量ハードロック…みたいな雰囲気に位置づけられてると
思うのですけれど

あらためて、この歳になってこのライブを見て見ると
このときあたり( 1974年 )のグランドファンクのサウンドは

確かに勢いがあって、ギターや曲の雰囲気なんかも
ロック、という感じがありますが

リズムは、すごくハネと粘りのある、ファンクグルーヴで
体が揺れて、ノリに乗っかってしまう感じでした

進行役のギタリストの人が
グランドファンクのギターは、初心者でも覚えやすく
すぐ弾けるので、バンドを作って演奏できる云々、、、と言っていましたけど

グランファンクのようなノリを出すのは
たぶん、無理、、、。

若い頃、ロコモーションや、ハートブレーカー、などのコピーを
ライブハウスで聴いたこともありましたが
散々たるものでありまして、、、、

特にハートブレーカーみたいな雰囲気は、日本でも
とってもウケる曲だと思うんですけど
なんか、リズムはズンドコに、雰囲気は、演歌みたいになっちゃうんですよね、、、、
本家なら、カッコイイ曲としてきけるんですけれども…

グランドファンクの、あのリズム、あのグルーヴは
個人的には、ドラムのドン・ブリュワーさんのノリの影響が大きいと思っていまして、

他のメンバー全員が、一体になって
あのドラムのノリを出せていることが、こういった勢いのあるウネリに
なってるんじゃないかなあ、と

あらためて、今回聴きながら 思ったりしました

ドン・ブリュワーさんは、ただ、ウルサイだけのドラムじゃなくて
ちょっと重めですけど、あのリズムグルーヴは 大好きです


↑ こちらは、唯一 うちにあった CD です…

こちらも、やっぱりライブ盤(笑)
1975年、「 CAUGHT IN THE ACT 」。好きな方は聴いたことのある曲ばっかりです

あとは、テープでいくつか持っていたんですけど
当然ながら、処分済み、でして、、、、はぁぁ

わたしが、個人的に このバンドでの好みの曲は、動画にあるとおりです
自分は、こういうタイプの曲が好き~~~~

今回は、番組で見た、ライブ映像を探して乗せました
( ブラック・リコリスだけは、上のジャケットアルバムからの音源です )

「 BLACK LICORICE 」
Grand Funk Railroad - Black Licorice (Live)


「 T.N.U.C 」
Grand Funk Railroad - t.n.u.c


「 FOOTSTOMPIN' MUSIC 」
Footstompin' Music


「 SHININ' ON 」
GRAND FUNK [ SHININ' ON ] LIVE 1974


…とまあ、他にもあげたらキリがないんですけど ^^;

ただ、好みは昔も今も、変わっていない感じです

このバンドのデビューは、1969年、
まだギター・ベース・ドラムの3人組でしたけど

そのときは、そのときでいわゆる当時のロックバンド、、という
雰囲気がありましたが

個人的には、オルガンサウンドがこのバンドとすごく合っていて
とても、効果的に自然に馴染んでいるので

リズムグルーヴとしても、オルガンが似合っていることもあって
4人組での、演奏の時代が ワタシ的には好きです

ドラムのノリも、3人組の頃から そういったファンクっぽいノリは
感じましたけど
さらに、どんどん進化して、あのノリが確立されたのが
4人になったグランドファンクの頃じゃないかなあ、とも思いました

ちなみに、上記の写真ジャケットの 1975 年のライブアルバム、、、

1. FOOTSTOMPIN' MUSIC
2. ROCK & ROLL SOUL
3. CLOSER HOME
4. HEART BREAKER
5. SOME KIND OF WONDERFUL
6. SHININ' ON
7. THE ROCO-MOTION ( G.Goffin,K.King )
8. BLACK LICORICE
9. THE RAILROAD
10.WE'RE AN AMERICAN BAND
11.T.N.U.C
12.INSIDE LOOKING OUT ( L.B.Chandler アニマルズのカバー )
13.GIMME SHELTER ( M.Jagger,K.Richards )  …と、全13曲です

メンバーは、マーク・ファーナー(G)、ドン・ブリュワー(Dr)
メル・サッチャー(B)、クレイグ・フロスト(Key)

このバンドは、ギターの人がだいたいはヴォーカルを取りますが
ドラムのドン・ブリュワーさんも、激しく歌いまして

また、これがお二人とも、ソウルフルなんですよね~~~
歌も、本当にいいんですヨ

しかし、、、今回見ていて、思ったのは邦題…^^;
シャイニン・オンの邦題は、「 輝くグランドファンク 」…となってまして…。

ほかにも、いくつか 突っ込みどころ満載の邦題がありましたが、、、(笑)
まあ… グランドファンクだけじゃないですね、、、

昔の人は、もちろんご存じだと思うんですが ( おっと、失礼… )^^;
古いものを、あらためて取り上げてみるのも、いいと思って。

このバンドの人気ぶりを表す、逸話としては

1971年、NY シェアスタジアムでのコンサートでの興業利益は
ビートルズの興業収益を更新した、と言われてるそうです

グランドファンクは、このあと 解散、再結成、また解散、とありまして
ここ最近では、マークファーナーさんは個人で活動、
ドラムとベースの人は、一緒にまたバンド活動していると
番組では、言っていました

そして、You Tube でも、最近のマーク・ファーナーさんの演奏や
再結成したグランドファンクの映像がありました

あ…っと! それから ベースの人は、何かと影に隠れがち…
なんですけれど
けっこう、ベースも良いんですよ~~~~


それでは、また!

2010年1月21日木曜日

ソウル・ディープ 2

今回も NHK BS1 で放送されていた「 世界のドキュメンタリー 」シリーズ
「 ソウル・ディープ 」…という
アメリカン・ソウルミュージックの誕生についての回を
書いておこうと思います

前回の第一回目は、1930~50年代あたりを描いていました
今回の第二回目は、50~60年代あたり、になるのでしょか

( 第一回目のお話はこちら。→ 「 ソウル・ディープ 1 」 )

黒人教会では、黒人のための音楽であったゴスペルミュージックが
発展していきまして
当初、ヨーロッパの賛美歌を歌うことを許されていましたが
アフリカンルーツが混ざり合い、黒人霊歌となり
リズムの強い、今日聴くようなゴスペルミュージックが生まれました

ゴスペルミュージック全盛は、40~50年代だそうで
この頃、黒人社会の中でゴスペルスターやアイドルが生まれていき

そういったスターたちは
当時 「ゴスペルハイウェイ」と呼ばれた道路、、、

ゴスペル歌手や説教師たちによって作られた道路のことで
そのルートに沿って
全米各地を巡業してまわるほど、だったということでした

( 黒人社会の中において
  ショービジネスとして確立されていたほどの人気ぶりだったそうです )

ただ、スター、アイドル、セックスシンボル…といった存在の彼らは
まだ あくまでも黒人社会だけ…、のもので

ゴスペルの訓練を受けた、ゴスペルシンガーが
ゴスペルソング以外を歌うことは、まだ許されていない時代でした

この「ゴスペルハイウェイ」で 巡業・活躍したグループ、歌手の人々が
のちの、ソウルミュージック界で数々の成功を収めています

ここでソウル・ディープ第二回目は、サムクックさんを軸に 進んでいきます

サム・クックさんも、レイ・チャールズさんと同世代の1931年生まれ。
( レイ・チャールズさんは、1930年生まれ )

そしてサム・クックさんも同じく、15~16歳あたりから
ゴスペルグループ、ザ・ソウル・スターラーズのメンバーとして
活躍していくのはご存じの通りです
彼らも「ゴスペルハイウェイ」巡業を展開していきます

レイ・チャールズさんの成功、、、
つまりは 当時御法度…とされていた
ゴスペル音楽を世俗的な音楽と融合させること、、、

ゴスペルにアレンジをかけた ポップソングを歌い、演奏して新しい音楽を生み出し
また、それが観客におおいに受け入れられて
大成功をおさめたこともあり

サム・クックさんも、ゴスペルにとどまるだけじゃなく
ポップソングを歌いたい、と思うようになっていきましたが

レイ・チャールズさんが新しい音楽で(のちのソウル・ミュージック)
成功しても、眉をひそめる黒人は多く、
それを受け入れない人々も多かった、ということでしたが

あがめていた神への賛歌の歌詞が たとえば…
神とわたし、、、から
ぼくときみ、、、みたいな 俗世的なものに すっかり変わってしまったり、と
そういうことも、大きな反発を生んだ 要因のようです

そういう背景もあり、それでもポップソングを出したいということで
偽名まで使って、レコードを出したことは有名です
( 1957年発売 Lavable デイル・クック )

この曲は、いままでいたグループ(ソウル・スターラーズ)の持ち歌を
ポップスに アレンジされたものだそうですが

偽名を使っても、声に大きな特徴があったため
周囲の人々は、みんなサム・クックだということはわかっていたようです

そして、当然ながら黒人社会は これを受け入れない風潮も大きく
地元シカゴを離れ、
翌年カリフォルニアに移り、黒人社会だけではなく

すべての人をターゲットにおいた、レコードを発表、
それが、「 You Send Me 」、
ご存じの通り、150万枚の大ヒットになり、、、、

ポップソングに、ゴスペルの歌い方を取り入れたサム・クックの歌は
白人社会においても、衝撃的なものだったそうで
こんな歌い方をする歌手は、いままで聴いたこともなかったそうでした

サム・クックさんの挑戦は、結果大成功してレコードは売れに売れましたが
やっぱり黒人教会、信者からは批判があったものの

この成功のおかげで のちに
多くの黒人ゴスペル歌手が、ポップシンガーに転向するきっかけを
与えることになります

それが、たくさんの大スターたちを生んだ
60~70年代のソウル・ミュージックの大きな発展につながっていきます

ご存じ、 アレサ・フランクリン、オーティス・レディングさん がたも
サム・クックの成功を受けて
ゴスペル歌手から ポップシンガーに転向して、成功をおさめた歌手のひとりです

サム・クックさんは、ポップシンガーに転向して6年後、、
1964年、安モーテルで、女性に射殺されて33歳の若さで他界しまうのですけれど

その同じ年に書き上げた、「 A Change Is Gonna Come 」…
素晴らしい名曲ですけれど

この曲について、
ボビー・ウーマックさんや、実の弟さんが エピソードを語っています

そもそもは、ある白人歌手の歌をラジオで聴いたことがきっかけで
その白人歌手、とは ボブ・ディランさん。

風に吹かれて/ BOB DYLAN


「 風に吹かれて( Blowing In The Wind ) 」 を聴いて影響を受け
「 A Change Is Gonna Come 」を書いた 、、、ということも、有名な話ですが

この「風に吹かれて」の歌詞を聴いて、自分のステージでも
この歌を歌うようになりました
Sam Cooke - Blowing in the Wind (HQ)

当時としては、白人の曲を黒人が歌うことは、
かなり斬新…というより 危険、、だったかもしれません

この「風に吹かれて」…という曲について、彼は周囲に こう言っていたそうです

「 これは白人の男が書いたんだ、我々(黒人)のための曲をね 」
「 あの曲は、自分が書くべき曲だった 」

風に吹かれて、の歌詞は 一部ですが、こうあります

「 どのくらい待てばいいの 自由が認められるまで
  どのくらい顔をそむけ 見ないフリをすればいいの 」

この曲がヒットしたことで
まだまだ、黒人が人として認められていなかった、この時代
サム・クックさんは、のちの公民権運動につながっていく曲、

「 風に吹かれて 」 の曲に対しての
黒人からのアンサーソング、として 「 A Change Is Gonna Come 」を
書き上げたのだそうです
Sam Cooke A change is Gonna come

これは、初めての公民権に関する政治的なメッセージソングになり
ご本人も、手応えを感じていて
ボビー・ウーマックさんに電話で 「 人生の転機になる曲だ 」…と
言っていたそうです

ただ、、、

この曲を周囲に聴かせたところ
ウーマックさんも、サム・クックさんの奥様も、この曲を聴いて
「 不気味な曲 」
「 この曲は死を感じさせる 」

周囲のみんなが、この曲を聴いて 嫌な予感を感じたそうです
それは、サム・クックさん自身も同じだったようで

アルバムには収録されたものの
素晴らしい曲にもかかわらず、公の場では
結局数回しか歌われなかった、ということですが

結局は、この曲を書き上げた年の年末に亡くなってしまい
この曲がシングルとしてリリースされたのは、彼の死後になりました

この「 A Change Is Gonna Come 」の歌詞の一部が
出ていましたが

「 暮らしは大変だった だが死ぬのは怖い
  空の向こうに 何があるかわからないから

  長い長い道のりだった
  でも わかっている 変化が起きようとしていると

  兄弟のところへ行って 助けてくださいと頼んだ
  ぼくは ひざをついた

  ああ 何度思ったことか 自分は長くは生きられないと
  今ぼくは 生き続けられると思う ・・・・・・」

…かなり 省略していますが こういった歌詞です

亡くなってから発売されたシングル盤では、一部の歌詞がカットされたそうです

モーテルで射殺されたこと以外、今も詳細が明らかになっておらず
本当のことは、わからないままだそうですが
当時、犯人とされた女性のインタビュー映像や 追悼式の一部など
貴重な映像も放送されていました

この時代、、、
ゲットー( 貧しい地区で暮らす黒人たち、または子供たち )から抜け出すため
野心を持って、成功を収めたひとりが サム・クックさんでもありました

アフリカ系アメリカ人の歴史は
音楽と、とても深いつながりがあり 切り離すことはできないのだなあ、、、と。
歌うことで、苦境を励まし合い、よりどころとなり
今日の様々な音楽スタイルに発展していまして

今、日本での J-POP と言われている音楽スタイルも
もとをたどれば、ここに行き着くはずです

それにしても… わたしは当然ながら この時代に生まれていないし
こういった悲惨な体験をしていないため
本当の意味するところは、死ぬまで わからないままなのでしょう

ですけど、やっぱり ソウルミュージックが好きでして
それもたぶん、死ぬまで変わることはなく、、、、
今の基礎を築いた、先人がたには心から敬意を表したい気持ちです


この第一回、第二回、と見ていて
あれ、、、聴いたことがある、、、という曲がけっこうあって 我ながら、驚きました

…というのも、後進の歌手が
カバーしているのを聴いたりしてるからかも、、、と思います

たとえば、番組内で紹介されていたルイ・ジョーダンさんの「カレドニア」…
あれは、ジェームスコットンさんがライブでカバーしているのを聴いていて
( フレーズが印象的なので、イントロですぐわかる )

ソロモン・バークさんの「 Everybody Needs Somebody To Love 」は
確か、ウィルソン・ピケットさんで…などなど。
( これも、強烈なインパクトがあるので、すぐわかります )

思い出せないものもありますけれど
聴いたことがある…という曲は… きっと

古いゴスペルの曲をアレンジしたり
ゴスペルグループの曲を、改めてアレンジして出したりと

代々…歌を受け継いでいく、というのが
多かったりすることも、大きいのだと思いました

知っている人も、知らなかった人も
もし、内容に興味を持っていただいたら ぜひ番組を見て欲しいなあ、と思います
あとは、まだまだ続く、番組をご覧くださいませ


第一回 「 ソウル・ミュージックの誕生 」
第二回 「 ゴスペルからソウルへ 」
第三回 「 モータウン・サウンド 」
第四回 「 サザン・ソウル 」
第五回 「 ファンク革命 」
第六回 「 ヒップホップ時代のソウル 」 ・・・・と6回まで続きます


それでは、また!

2010年1月20日水曜日

ソウル・ディープ 1

今日は、最近では一番暖かくって爽やかでしたね~~~
時折吹く風も、爽やかな春~~…って感じで暖かくて
気持ちいい感じでした

そういや、今年の初めにやっていたテレビ番組があったのですが
少しずつ 今更ながら見ていました

NHK BS1 で「 世界のドキュメンタリー 」シリーズで放送されていた
「 ソウル・ディープ 」…という
アメリカでの、ソウルミュージックの誕生から、今日までの流れを追った番組です
2005年、イギリス BBC 制作、だそうです

私は、若い10代後半頃から 主に1970年代の海外のロックを中心に
聞いてきたわけですけど
その流れから、だんだんと 50~60 年代ブルーズを聞くようにもなりまして。

そのときに、音楽の流れ…というか
ブルーズなどの いわゆる黒人音楽が生まれた いきさつを知りました

この通り、細かいことは本当にすぐ 忘れてしまうので
今回、あらためてルーツからの歴史も見ることができて 良かったです

この番組、音楽が好きな方はもちろん、、ですけれど
知らない人にとっても
アメリカの、アフリカ系アメリカ人の歴史も 音楽を通して知ることができます

自分が特に印象深かったのは、最初の方の回( 1,2 回 )、での お話しでした
よく知らない人のために
個人的に 印象深かったところを、書いておこうと思います

この番組を見ていて 感じたのは
番組の誰かも、言っていたと思うんですけど
そして、こういう言い方もどうか、と思うのですけれど、、、、

アフリカから、アフリカ系アメリカ人が 奴隷として奴隷船で
アメリカに連れてこられなければ、
魂から来るソウル・ミュージックは、誕生していない、と。

ソウル・ミュージックとは
黒人音楽の総称でしたが、最近は肌の色は関係ないもの、
音楽ジャンルとしての言葉になっています

ブラックミュージックとか、ブラコン(ブラック・コンテンポラリー)とか呼ぶ人も
いますけれど

わたしは、今までもそうですが
広い意味を持つ、ソウル・ミュージック、という言葉を好んで使っています

1回目は、レイ・チャールズさんを軸に
その時代背景や、いろいろなミュージシャン、貴重な当時の映像も出てきます


ご存じの方も 多いと思うのですけど、、、、

奴隷としてアメリカ大陸に連れてこられ
自由な意志も行動も、言葉を発することも禁じられてきた人々でしたが
番組は 20 世紀、1930年代くらいから スタートします

激しい人種差別におかれていた黒人社会からは
数々の音楽が生まれていますよね

ゴスペル、ジャズ、R&B ( リズム・アンド・ブルース )、ブルーズ、ロック、
ファンク、ヒップホップ などなどなど、、、。

それから 当時は「 ソウル・ミュージック 」「 R&B 」…という言葉はなく
「 レイス・ミュージック 」( 人種音楽 )…と
呼ばれていたそうですが

差別用語は良くない、、、という風潮が広がってきたので
ビルボード誌の記者が、編集長に命じられ

締め切りまでに、考えてきたのが
「 リズム・アンド・ブルース 略して R&B  」…という
エピソードも ありました
( ご本人がインタビューで言っていた )

ソウル・ミュージックの始まりは、労働歌、、、

当時の黒人は
歌うことも、楽器を持つことも 禁止されていたそうで
唯一、労働しているときに、自分たちを励ますために歌うことが
許されるようになっていき

唯一のよりどころが、教会、、、つまり
神にすがり、祈ること、、、
教会の中だけは、自分の意志や行動を制限されることがなかったので
みなが、教会に集まるようになりましたが

最初から、今のような いわゆる「ゴスペル・ミュージック」が
あったわけではなく
当時は、ヨーロッパに古くからある賛美歌を歌わされていたそうで

そこに、アフリカ系アメリカンの要素が少しずつ加えられて
今のような、ゴスペルスタイルが出来上がったそうです

わたしは恥ずかしながら 番組で初めて知ったんですけれど
多くの人が知っている、スタンド・バイ・ミー…という曲。

映画でも有名ですし、主題歌にもなっていますけど
あれは、もともと伝統的な古いゴスペル曲、

スタンド・バイ・ミー・ファーザー…という曲を
真似た歌なのだ、と ベン・E・キングさんが言っていました

ゴスペルとブルーズは、一見似たような雰囲気がありましたが
歌詞の内容が、まったく違っていたため
黒人社会では 別物、とされてきたようで

黒人のためだけにあった、ゴスペルソングを
人種問わず、すべての大衆にむけてポップソングとして
世に送り出したのが、
レイ・チャールズさんや、サム・クックさん、ジェームス・ブラウンさん。

レイ・チャールズさんは、1930年生まれ。
映画でもご存じの通り、10代でプロのミュージシャンとして
生計を立てていた方です

当時の、黒人社会の世相は
ゴスペルとは、「 神に捧げる音楽 」 であり

ポップソングに変えて歌うなんて、神への冒涜だ、と強く思われていて
教会の考えは黒人社会の世相、、、、絶対的なものでした

そんな強い考えが広がっていた当時に
レイ・チャールズさんは、ゴスペルとポップスを合わせた
新しい音楽を始めた最初の人で
それが、ソウルミュージックの始まり、と言われています

もともとゴスペルソングとしてあった歌を
ポップミュージックと織り交ぜて演奏したり
クラシックやジャズなども取り入れたり、、、

もちろん、当時の黒人社会では
「 …なんてことを! 魂を売ったのか 」…と思われていたようですけれど

勇気がいっただろうなあ、、、と 番組みながら 思ったりしてました

今では、当たり前にいる、メイン歌手のバックで歌っている
複数のコーラスグループ、、

あれも、最初に女性コーラスグループをつけて 掛け合いで歌ったのは
レイ・チャールズさんが初めてなんだそうですが

歌の掛け合いや、女性コーラス…
そもそも ゴスペルから来てるそうです

それから、ルイ・ジョーダンさんは、当時
レイ・チャールズさんを始め、みんなの憧れの存在だったそうで

サックス演奏、歌、作曲、映画制作もしていた多才なルイ・ジョーダンさん。

今まで 黒人音楽は
奴隷、人種差別、悲しみ、などを表現したものが多かった中
ルイ・ジョーダンさんの音楽は
今、聴いても アップテンポなリズムと、ダンサンブルなフレーズで

さあ、踊ろう、ダンスだ、楽しもう、というもので
当時は、とても斬新で新しい音楽だったそうです

教会も、ひとたび中に入れば 実際には
静かに祈っているのではなく
ゴスペル歌手が、歌い、ゴスペルグループが演奏し
どんどん、ゴスペルのスターが誕生していき、人気が出てきて

歌や演奏にあわせて 踊ったりしているうちに
興奮状態になったりして、

当時の黒人教会は
さながら コンサート会場でもあったようで

ジェームス・ブラウンさんはインタビューで、こう言っていました
「 一週間働きずめでも、土曜の12時になれば 報われる 」

白人による、ロックが台頭してきたころ、、、

( ロックは、リズム&ブルーズと白人によるカントリーミュージックが
  合わさったことが発祥のようです )

この頃から、黒人社会のなかに
自分たちの置かれている状況に、異議を唱えよう、
肌の色、自分たちの歴史に誇りを持とう、という考えが広がってきました

教会の牧師、説教者が広め始め、のちに公民権運動へとつながっていきます

今回見ていて、初めて知ったのは、ルース・ブラウンさん。
この方のパワフルな歌、初めて聴きましたが ヨイです~~~ とても好きです
( 名前は知らなかったんですけど、なぜか曲は知っていた )

このルース・ブラウンさん、
当時、立ち上げた アトランティック・レコードを成功に導いた歌手なのだそうです


ルース・ブラウンさんの成功のおかげで
建てられたビルは、ルース御殿、とも呼ばれてたんだとか、、、

ルース・ブラウンさんが、R&B とは、、、
Rhythm and Blues ( リズム・アンド・ブルース )
Really Blue ( 本当にブルー )
Really Brave ( とても勇敢 )
Really Black ( 本当にブラック )

…どれでも好きに呼んで、と、言葉を当てはめていたのも、印象的でした


レイ・チャールズさんも、ルース・ブラウンさんも言っていましたが
黒人は、「 お前 」、と呼ばれていたそうです
当時、名前で呼ばれることはなかったそうです

まだ、見ていないところもあるんですけど
どの回も、とても興味深いものでした

この番組は、BS なので、たぶん、、、また再放送があると思うので
見逃した方は、ぜひ、、、、オススメです

ちなみに
第一回 「 ソウル・ミュージックの誕生 」
第二回 「 ゴスペルからソウルへ 」
第三回 「 モータウン・サウンド 」
第四回 「 サザン・ソウル 」
第五回 「 ファンク革命 」
第六回 「 ヒップホップ時代のソウル 」 ・・・・・・・・というタイトルです

ファンクの回も、面白かったです

ソウルミュージック誕生の第二回目は、こちら。→ 「 ソウル・ディープ 2 」

それでは、また!

2010年1月18日月曜日

指はそれからどうなった

毎日、毎日、寒いですよね~~~~

今日は、というか 今日も、か… 晴れてますけど、風が冷たいよー…

そういや、、、、と思ったんですが   ← なんか いっつも思いつき ^^;

最近、指の皮がむけなくなってきたことに
気がつきました、、、、

いや、ホントに あれっ? …って思って
以前は、確か…
どれくらいで、水ぶくれとか 指先の皮がむけなくなるか
ここにつけておこう、…って思ってたんですけれど
忘れてた…(笑)

あれは、昨年の9月30日でした
( ここにつけておいたので、以前の見て確認した )

10年ぶり、くらいに ギターを弾きまして。
そりゃあ、久しぶりに触ったその日は
夢中になって いきなり数時間もむさぼるように 弾いてたのですけれど

そのときには、弾き終わって たかだか2~3分ほどで
こんな感じの水ぶくれが、、、、、。  ↓


最初は、左手の薬指が こんなふうになったんですけど
チョコチョコ弾くようになったら
他の指も、水ぶくれになったり 皮が剥けてきたり、、、、
去年は、ばんそうこうも よく使っていました

今年に入って、気がついてみたら
さすがに皮がむけることは、なくなってまして。

指や手首は、元通り…とは行かないものの
去年から比べると
だいぶ、動いてくれるようになったような気がします


これは、今の弾き終わった指。 ね?キレイになったでしょ~~~

自分の今の目標は、
自分のためにも
高いお金をかけてリペアに出したギターのためにも(笑)
ちょっとの時間でも、触れてあげること、でしょかね~~~

自分はすぐ、弾く時間がない!! …どうしよう!!…という
考えになりがちなんですけれど^^;

弾かない日があっても、良しとしています
プレッシャーかかると、弾きたくなくなっちゃうからなあ… ^^;

まあ、弾ける時間が最大限でも 2~3時間程度ですけど
30分、なーんてときもありますけど

できるだけ、少ない時間でも継続してギターに触っていると
指の動きとか、手首の動きが やっぱし良くなってきてます~~~

最近、また 当時よく聞いて練習していた
ジェームス・コットンさんのライブをかけながら
弾いたりしてるのですけど
こんなリズムのものなんかが、自分ではお気に入りです
( このジャケットのアルバムに 入っている曲ではないです… すみましぇん… )
James Cotton Live Fannie mae


どれも、とってもエネルギーに溢れていて
ブギー!!!…って感じなのですが
この曲のリズムは、ファンキーで

実際に合わせて弾いてみると、わかると思うんですが
隙間無く 弾き続けるんでは なくって

できるだけ間をあけるような感じで、、、、一拍おいたり、裏から入ったり、と
フレーズをリズミカルに弾くと
燃えちゃうよーな(笑) ノリが出まして、、、。

弾いてて、とっても楽しいリズムとノリです

当時みたいな スケール練習ではなくって
ここで、この音出したいな…っていう音が出せるように
音を探しながら、フレーズを弾いていたりします
( それが一番今、楽しいから )(笑)

せっかく弾き始めたんだから
当時とおんなじことしていても、仕方がないかなあ、、って思いまして。

のんびり、楽しく。 今はこれでいいんじゃないかと。
がんばらなくっちゃぁぁぁ~~~~~~


それでは、また!

2010年1月14日木曜日

年が明けたら反っていた…

昨日までは、すんごく寒かった東京地方、、、。
今日は、少なくとも昼間は まだマシでした

そういや、、、って 今ギター弾きながら思ってたんですけど

年末あたりから、年始・・・・・。
当然ながら、相方さんはお休みでして
わたしは、おうちの事だとか なんだかんだとありまして

年末年始の数日間、、、、
ギターを触ることは まったくなかったんですけど

年が明けまして、ウチも世間も日常に戻った日、、、、
さあ、久しぶりに~~ …なーんてギターを持ってみたら
なんか、ヘン、、、、。

ありゃりゃ、、、???

何で こんなにネックが反ってるの~~~~!!! …って、、、^^;

…まあ、原因は あやつしかおりませぬ、、、、
相方さん、、、、

もう、だから ギター弾き終わったら ちゃんと元に戻しといてよ!!…って
言ったのに~~~~~!!

…わたしは、以前からこのブログをお読みの方はご存じのように
基本的に、ギターに求めるものと言えば
弾きやすさ、などの合理性、、、、。

相方さんは、世の男性と同じく カッコ良さ、、、。

ゆえに、ギターには とっても神経質なクセして
弾き終わった後なんかは
そこらへんに、ポンポン 置いちゃうんですよ!!

わたしは、ギターをガコン…! …とかぶつけても全然ヘーキな人間ですけど

( イヤがるヒトは 多いよね…きっと…        傷ついたって弾けるのに… ぼそっ )
( ちなみに 車も、なんでチョイぶつけただけで
  なんで、あんなに神経質になるのか、わからにゃい… だって乗れるのに… ぼそっ )^^;

そんなチョーズボラな人間ですが
ギターの管理は、こう見えて うるさいんです、、、、

もう、ギターのネックが反ってる、なんて 問題外なんですよおおおお
年末、最後にわたしが弾いてたときには
リペア時のときのまま キレイで弾きやすい感じだったのに

今では、弦高…高くなってない…? …という感じ、、、、はあ…

リペアに出す前は、なみなみしていたネックでしたが
今は、見てみたら キレイな順ゾリ…。

はなちゃん、、、写り込んでますが、、、、。
 → 
一番手前の 6弦…           試しに弦を押さえてみると、、、開いてる、、、。

             ・・・・・・・なにしてんの?


…まあ 直せばいいことなんですけど、、、
直さなくちゃなあ、、、 ← そのまんま 今日まで来てる ^^;

本当は、ヘッドから壁にでも吊しとくのが一番いいんですけど
そんなものはないし、ギタースタンドでさえ、ないもので ← 買えよ…
固定させて、立てかけておいているのですが

そういや、立てかけて置くときって どちら側に向けて置いておきますか?

わたしは、必ず弦側を向けて(ギターの裏側が見えるように)置くのですけど
なるべく斜めにしないような感じで、、、、

自分は、弾き終わった後 弦をゆるめたりしないもので
そういう感じで置いておきます、、、
まあ、雑…と言われれば それまでなんですけれど、、、^^;

でも、そういうふうに毎日 置いておいても
ちゃんとギターやネックは、ベストな状態なので
間違ってはいないのでしょう、、、

( 要するに、ギターの状態が良ければ何でもイイのだ ) 

なのに~~~~!!!
もう、、、相方さんは、ギターの表が見える向きで
イスとか、そこらへんに立てかけて置くもので

そして 年末年始の間、「 元に戻して置いてよ 」…と言っても
生返事、、、( こんにゃろめ!! )

そしたら、数日経って触ってみたら、ネックが反ってた、、、
ちなみに、ネックの反りにわたしが気がついて
仕事から帰ってきた相方さんに聞いてみたら

「 あ、、やっぱり? …なーんか 弦高いなあーって思ってた 」…だって!!

だから、戻しとけって言ったのに。もう。

もともと、このギターは、わたしが触ってると調子がいいんですヨ!!(笑)
( 相方さんのギターなんですけど )

…ていうか
ギターは、毎日触っていないと( ギターに限らず )
なーんか 痛む気がするんですよね~~~

せっかくリペアに出してキレイにしてもらったんだから
大事にしないとね!

今日も少しギターが弾ける時間があったので、ヨカッタ、ヨカッタ(笑)
ささ、手アカだらけの弦と指板、拭かなくっちゃ、、、^^;


もう、ギター弾き終わったのかしら… ↑ ギターのあとは夜の遊びが待っている

はなちゃんが、何気に起きてきまして…^^;

これから、夜の遊びに付き合います、、、、
( 昔からの習慣なもので… )



それでは、また!