2010年1月21日木曜日

ソウル・ディープ 2

今回も NHK BS1 で放送されていた「 世界のドキュメンタリー 」シリーズ
「 ソウル・ディープ 」…という
アメリカン・ソウルミュージックの誕生についての回を
書いておこうと思います

前回の第一回目は、1930~50年代あたりを描いていました
今回の第二回目は、50~60年代あたり、になるのでしょか

( 第一回目のお話はこちら。→ 「 ソウル・ディープ 1 」 )

黒人教会では、黒人のための音楽であったゴスペルミュージックが
発展していきまして
当初、ヨーロッパの賛美歌を歌うことを許されていましたが
アフリカンルーツが混ざり合い、黒人霊歌となり
リズムの強い、今日聴くようなゴスペルミュージックが生まれました

ゴスペルミュージック全盛は、40~50年代だそうで
この頃、黒人社会の中でゴスペルスターやアイドルが生まれていき

そういったスターたちは
当時 「ゴスペルハイウェイ」と呼ばれた道路、、、

ゴスペル歌手や説教師たちによって作られた道路のことで
そのルートに沿って
全米各地を巡業してまわるほど、だったということでした

( 黒人社会の中において
  ショービジネスとして確立されていたほどの人気ぶりだったそうです )

ただ、スター、アイドル、セックスシンボル…といった存在の彼らは
まだ あくまでも黒人社会だけ…、のもので

ゴスペルの訓練を受けた、ゴスペルシンガーが
ゴスペルソング以外を歌うことは、まだ許されていない時代でした

この「ゴスペルハイウェイ」で 巡業・活躍したグループ、歌手の人々が
のちの、ソウルミュージック界で数々の成功を収めています

ここでソウル・ディープ第二回目は、サムクックさんを軸に 進んでいきます

サム・クックさんも、レイ・チャールズさんと同世代の1931年生まれ。
( レイ・チャールズさんは、1930年生まれ )

そしてサム・クックさんも同じく、15~16歳あたりから
ゴスペルグループ、ザ・ソウル・スターラーズのメンバーとして
活躍していくのはご存じの通りです
彼らも「ゴスペルハイウェイ」巡業を展開していきます

レイ・チャールズさんの成功、、、
つまりは 当時御法度…とされていた
ゴスペル音楽を世俗的な音楽と融合させること、、、

ゴスペルにアレンジをかけた ポップソングを歌い、演奏して新しい音楽を生み出し
また、それが観客におおいに受け入れられて
大成功をおさめたこともあり

サム・クックさんも、ゴスペルにとどまるだけじゃなく
ポップソングを歌いたい、と思うようになっていきましたが

レイ・チャールズさんが新しい音楽で(のちのソウル・ミュージック)
成功しても、眉をひそめる黒人は多く、
それを受け入れない人々も多かった、ということでしたが

あがめていた神への賛歌の歌詞が たとえば…
神とわたし、、、から
ぼくときみ、、、みたいな 俗世的なものに すっかり変わってしまったり、と
そういうことも、大きな反発を生んだ 要因のようです

そういう背景もあり、それでもポップソングを出したいということで
偽名まで使って、レコードを出したことは有名です
( 1957年発売 Lavable デイル・クック )

この曲は、いままでいたグループ(ソウル・スターラーズ)の持ち歌を
ポップスに アレンジされたものだそうですが

偽名を使っても、声に大きな特徴があったため
周囲の人々は、みんなサム・クックだということはわかっていたようです

そして、当然ながら黒人社会は これを受け入れない風潮も大きく
地元シカゴを離れ、
翌年カリフォルニアに移り、黒人社会だけではなく

すべての人をターゲットにおいた、レコードを発表、
それが、「 You Send Me 」、
ご存じの通り、150万枚の大ヒットになり、、、、

ポップソングに、ゴスペルの歌い方を取り入れたサム・クックの歌は
白人社会においても、衝撃的なものだったそうで
こんな歌い方をする歌手は、いままで聴いたこともなかったそうでした

サム・クックさんの挑戦は、結果大成功してレコードは売れに売れましたが
やっぱり黒人教会、信者からは批判があったものの

この成功のおかげで のちに
多くの黒人ゴスペル歌手が、ポップシンガーに転向するきっかけを
与えることになります

それが、たくさんの大スターたちを生んだ
60~70年代のソウル・ミュージックの大きな発展につながっていきます

ご存じ、 アレサ・フランクリン、オーティス・レディングさん がたも
サム・クックの成功を受けて
ゴスペル歌手から ポップシンガーに転向して、成功をおさめた歌手のひとりです

サム・クックさんは、ポップシンガーに転向して6年後、、
1964年、安モーテルで、女性に射殺されて33歳の若さで他界しまうのですけれど

その同じ年に書き上げた、「 A Change Is Gonna Come 」…
素晴らしい名曲ですけれど

この曲について、
ボビー・ウーマックさんや、実の弟さんが エピソードを語っています

そもそもは、ある白人歌手の歌をラジオで聴いたことがきっかけで
その白人歌手、とは ボブ・ディランさん。

風に吹かれて/ BOB DYLAN


「 風に吹かれて( Blowing In The Wind ) 」 を聴いて影響を受け
「 A Change Is Gonna Come 」を書いた 、、、ということも、有名な話ですが

この「風に吹かれて」の歌詞を聴いて、自分のステージでも
この歌を歌うようになりました
Sam Cooke - Blowing in the Wind (HQ)

当時としては、白人の曲を黒人が歌うことは、
かなり斬新…というより 危険、、だったかもしれません

この「風に吹かれて」…という曲について、彼は周囲に こう言っていたそうです

「 これは白人の男が書いたんだ、我々(黒人)のための曲をね 」
「 あの曲は、自分が書くべき曲だった 」

風に吹かれて、の歌詞は 一部ですが、こうあります

「 どのくらい待てばいいの 自由が認められるまで
  どのくらい顔をそむけ 見ないフリをすればいいの 」

この曲がヒットしたことで
まだまだ、黒人が人として認められていなかった、この時代
サム・クックさんは、のちの公民権運動につながっていく曲、

「 風に吹かれて 」 の曲に対しての
黒人からのアンサーソング、として 「 A Change Is Gonna Come 」を
書き上げたのだそうです
Sam Cooke A change is Gonna come

これは、初めての公民権に関する政治的なメッセージソングになり
ご本人も、手応えを感じていて
ボビー・ウーマックさんに電話で 「 人生の転機になる曲だ 」…と
言っていたそうです

ただ、、、

この曲を周囲に聴かせたところ
ウーマックさんも、サム・クックさんの奥様も、この曲を聴いて
「 不気味な曲 」
「 この曲は死を感じさせる 」

周囲のみんなが、この曲を聴いて 嫌な予感を感じたそうです
それは、サム・クックさん自身も同じだったようで

アルバムには収録されたものの
素晴らしい曲にもかかわらず、公の場では
結局数回しか歌われなかった、ということですが

結局は、この曲を書き上げた年の年末に亡くなってしまい
この曲がシングルとしてリリースされたのは、彼の死後になりました

この「 A Change Is Gonna Come 」の歌詞の一部が
出ていましたが

「 暮らしは大変だった だが死ぬのは怖い
  空の向こうに 何があるかわからないから

  長い長い道のりだった
  でも わかっている 変化が起きようとしていると

  兄弟のところへ行って 助けてくださいと頼んだ
  ぼくは ひざをついた

  ああ 何度思ったことか 自分は長くは生きられないと
  今ぼくは 生き続けられると思う ・・・・・・」

…かなり 省略していますが こういった歌詞です

亡くなってから発売されたシングル盤では、一部の歌詞がカットされたそうです

モーテルで射殺されたこと以外、今も詳細が明らかになっておらず
本当のことは、わからないままだそうですが
当時、犯人とされた女性のインタビュー映像や 追悼式の一部など
貴重な映像も放送されていました

この時代、、、
ゲットー( 貧しい地区で暮らす黒人たち、または子供たち )から抜け出すため
野心を持って、成功を収めたひとりが サム・クックさんでもありました

アフリカ系アメリカ人の歴史は
音楽と、とても深いつながりがあり 切り離すことはできないのだなあ、、、と。
歌うことで、苦境を励まし合い、よりどころとなり
今日の様々な音楽スタイルに発展していまして

今、日本での J-POP と言われている音楽スタイルも
もとをたどれば、ここに行き着くはずです

それにしても… わたしは当然ながら この時代に生まれていないし
こういった悲惨な体験をしていないため
本当の意味するところは、死ぬまで わからないままなのでしょう

ですけど、やっぱり ソウルミュージックが好きでして
それもたぶん、死ぬまで変わることはなく、、、、
今の基礎を築いた、先人がたには心から敬意を表したい気持ちです


この第一回、第二回、と見ていて
あれ、、、聴いたことがある、、、という曲がけっこうあって 我ながら、驚きました

…というのも、後進の歌手が
カバーしているのを聴いたりしてるからかも、、、と思います

たとえば、番組内で紹介されていたルイ・ジョーダンさんの「カレドニア」…
あれは、ジェームスコットンさんがライブでカバーしているのを聴いていて
( フレーズが印象的なので、イントロですぐわかる )

ソロモン・バークさんの「 Everybody Needs Somebody To Love 」は
確か、ウィルソン・ピケットさんで…などなど。
( これも、強烈なインパクトがあるので、すぐわかります )

思い出せないものもありますけれど
聴いたことがある…という曲は… きっと

古いゴスペルの曲をアレンジしたり
ゴスペルグループの曲を、改めてアレンジして出したりと

代々…歌を受け継いでいく、というのが
多かったりすることも、大きいのだと思いました

知っている人も、知らなかった人も
もし、内容に興味を持っていただいたら ぜひ番組を見て欲しいなあ、と思います
あとは、まだまだ続く、番組をご覧くださいませ


第一回 「 ソウル・ミュージックの誕生 」
第二回 「 ゴスペルからソウルへ 」
第三回 「 モータウン・サウンド 」
第四回 「 サザン・ソウル 」
第五回 「 ファンク革命 」
第六回 「 ヒップホップ時代のソウル 」 ・・・・と6回まで続きます


それでは、また!

0 件のコメント:

コメントを投稿